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エデンの鍵に関する情報を置いていくブログ。 時に短編小説もあるかも?
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 褐色の肌に長身の女が、国士無荘の扉をくぐったのは、件のゲームの始まる一週間前のことだった。長い焦げ茶色の髪を背に流した彼女は、床板をぎしぎしと言わせながら国士無荘の一室へ向かう。
 ノックもせずに扉を開けると、明るい薄緑色の髪の青年と、雰囲気のよく似た黒髪の青年がいた。薄緑色の髪の青年がパソコンを扱うのを、黒髪の青年は覗き込もうとしているようだった。子猫がじゃれあっているような風景。
 それに一喝を入れたのは、褐色の肌の女、ユンファの声。
「環!仕事だよ。」
「勝手に部屋に入ってくるなよ。」
 明らかに不機嫌になった薄緑色の髪の青年、環にユンファは動じもしない。
「仕事のメールを出してるのに、返事もしないあんたが悪いんだろう?」
 ふんっと顎を上げるユンファは、背の高さと大柄なところが相まって、ド迫力である。それに対して、環も一歩も引かない。
「文字化けするようなメールを送ってくるからだよ。」
「あんた、『蛇』の先輩に対して、口の効き方がなってないね。」
「あんたこそ、年くってるなら、それ相応の常識とか身につけた方がいいんじゃないか?」
 今にも殴り合いになりそうな気配に、黒髪の青年、ファウストははらはらと二人を見守る。どちらもマフィアで、仲間であるので、余計に口出しができなかった。
「生意気なチビを煮てやりたいけど、こんなことにエネルギー使うのも無駄だから、許してやるよ。これ、受け取りな。」
 手渡された命令書に、環が顔を顰める。
「軍の内部をハッキングしろって!?」
「できないのかい?あれだけ大口を叩いておいて。」
 言われて環はユンファを睨みつけた。
「どれだけ危険か理解する脳みそがないから、言えるんだろう。頭が悪いってのは、幸せだよな。」
「危険だろうとなんだろうと、命じられたことはやる。それが紅鳳会の掟だろう?」
 けだるく言われて、環は眉間に皺を寄せる。
「俺一人で、軍を敵に回すリスクを犯せと?」
「見つからなきゃいいんだよ。それとも、できません、ごめんなさいって、言うのかい。ママに泣きつくかい、ボクちゃんは。」
 完全に馬鹿にした口調に、環は笑顔を作った。
「さっさと帰れ。俺はできないなんて、一言も言ってないからな。」
「はいはい。」
 片手を上げたユンファに、環はすでにパソコンに向かってものすごいスピードで何かを打ち込み始めていた。
 大きな足音とともにユンファが立ち去る。
「環、大丈夫なの?」
 心配するファウストに、環は立ち上がった。
「しばらく、仕事で出てくる。」
 素っ気なく言ったまま、出ていこうとする環をファウストは追いかける。
「無茶するなよ?」
 環は振り返ることなく国士無荘を後にした。


 いつもは環と通う銭湯も、今日はファウスト一人きり。
 右腕のギブスが邪魔で脱ぎ着も不自由なのに、手伝ってくれる人もいないとなるとどうすればいいのだろうと思いながら、とぼとぼと銭湯への道を歩いて行く途中、ものすごい勢いで駆けてくる小さな女性に、ファウストは足を止めた。
 小柄で黒髪の女性が目にいっぱい涙を浮かべて、ファウストにすがりついてくる。
「フェンリル!」
 ちなみに、ファウストの名前はファウスト・インドールであり、フェンリルではない。しかし、構わず彼女は続けた。
「ずっと、探してたんですよ。良かった。無事で。怪我をしているんですね。つらかったでしょう。もう大丈夫。お姉ちゃんが守ってあげます。」
 ぼろぼろと涙をこぼしながら、ファウストに縋りつくその手は小さくて、優しくて、ついファウストは口走っていた。
「ご、ごめんね、姉さん。心配させて……?」
 語尾が微妙な彼の心境を表してしまう。
「姉さんなんて。昔みたいにティーエって呼んで下さい。たった二人の姉弟なんだから。」
 ぎゅっと左手を握って離さない小さな白い手が、暖かい。こぼれる涙があまりにも切なくて、ファウストは頷くしかなかった。
「ティーエ、ごめんね。」
 さっきよりも自然に言えた気がしたファウストだが、がばっと軽い体に抱きつかれて驚いてしまう。
「ずっとずっと探してたんです。靴も幾つもすり切れて駄目になったけど、諦めなくてよかった。絶対もう一度会えるって信じてました。」
 暖かな抱擁は、じんわりとファウストの胸にもしみた。今まで味わったことのない感覚に、ファウストは驚く。
「俺も、会えて嬉しいよ。」
 抱き返すと、ティーエの体は非常に細くて、それなのに不思議と柔らかかった。


 新着メールの表示に環はイライラしながら、それを開く。
 しっかりと文字化けしているそれを、エンコードを直して読むと、更に苛立ちは募った。
『一応、ユンファ様からの慈悲だ。できなくても、ボスはあんたを処分しないってよ。役立たずでもいないよりマシだからね。』
 即座に環はそのメールを削除した。
「できないはずはない。」
 そして、明滅する電脳の世界に入っていく。


 連れてこられたティーエの診療所は、国士無荘のすぐ近くにあった。そこの一室でティーエは寝泊まりしているらしい。
「物が何もなくて恥ずかしいんですけど。」
 言いながら環を招く。
 通された部屋は、畳が敷いてあって、そこに丁寧にたたまれた布団が端っこにあって、後は小さな座り机があるだけだった。
「探すのに必死で、あまりここにいないので。座布団もなくってごめんなさいね。」
 謝るティーエにファウストは首を振る。
「大丈夫だよ。」
 畳の上にファウストを座らせて、ティーエはギブスに手を這わせた。ギブスを通りぬけ、肉すらもすり抜けて触れてくる不可視の手に、ファウストはびくりと体を震わせる。
「複雑骨折ですね。骨が変なふうにくっつきそうになってますよ。ここが、歪んでます。」
 ぐいっと何かが引っ張られる感じがして、ファウストのギブスの中が痛む。だが痛みはすぐに去った。
「定期的に診ましょうね。こんな怪我までして……マフィアにやっぱり、入ってたんですね。大丈夫、言わなくても分かります。抜けるのは大変なんでしょう?私、精一杯、助けますから。」
 潤んだ目で見上げられて、ファウストは慌てる。
「き、気にしないでいいよ。俺、なんとかするから。」
 マフィアにティーエが乗り込んできたら大変なことになりそうな気配が、ひしひしと感じられて、ファウストが言うのに、ティーエは納得していない様子だった。
「ティーエ、お腹すいたなー。」
 必死にファウストがごまかすと、ティーエははっとして立ち上がる。
「すぐに何か作りますね。」
 嬉しそうな彼女の姿に、ファウストはもう別人だとは言い出せなくなっていた。


 幾つものパソコンと繋がって、明滅する電脳世界に滑りこんで、環は張り巡らされた軍の城壁をすり抜ける方法を考える。
 抜け穴はあるはずだ。
 絶対に。


 お風呂の手伝いをすると言い張るティーエを、なんとか説得してシャワーを浴びたのはいいが、布団は一組しかなく、ファウストはティーエと一緒に寝ることになってしまった。
 ティーエはファウストの左手を握って、ずっと離さない。
「フェンリル、生きていてくれて、ありがとうございます。あなたが生きていてくれて、本当に、嬉しい。」
 時々、噛み締めるようにこぼれるひとり言に、自分に向けられたものではないと分かっているのに、ファウストは不思議と胸が暖かくなる。
 もし家族というものがいたら、こんな感じだったのだろうか。
 結局、言いだせぬまま、ファウストは三日間を過ごすことになる。


「抜けた!」
 思わず一人の空間で声が出ていた。
 軍の壁の綻びを見つけた。その隙間から、今、正に、環は滑り込もうとしていた。
 軍の情報の宝庫に。
 刹那、ぷつんと何かが切れる気配がした。
 次々と真っ黒になっていくモニタの画面。
『ご苦労様!』
 画面に現れたのは、軍の老兵、ソフィアのドアップの顔だった。
「なんだと!!!」
 携帯のメールが時間切れを告げていた。


 三日目の朝に、握った左手を離さないまま、ティーエは俯いて診療所の外にファウストを連れていった。それまでの二日も外出していたが、やっぱりティーエはファウストの手を縋るように握って離さなかった。
「メガネでよく色が見えなかったし、第二次成長期で色が変わることもあるからと、思ってたんですけど、違うんですね。あなたは、フェンリルじゃないんですね。」
 今にも涙が零れそうになっているティーエに、どうすればいいか分からずにファウストはぎゅっと左手を握り返した。
「本当は、分かってたんです。でも、優しかったから、信じたかったから、甘えてしまいました。ごめんなさい。」
「いや、俺も、家族ができたみたいで、嬉しかったし。」
 ティーエの涙がこぼれないように必死に言うファウストに、ティーエは笑顔を無理やり作る。
「また来て下さい。絶対、無茶しないで。あなたが生きている限り、私は諦めずにいられるような気がします。頑張れるような気がします。」
「うん。ほら、定期的に診てもらわないと、いけないからさ。」
 笑顔を見せたファウストに、ティーエは強く頷いた。
「あなたの名前を、教えて下さい。もう一人の弟と、あなたを思います。」
 懇願するようなティーエの言葉に、ファウストはようやく自分の名前を口にした。
「ファウストだよ。」
「ファウストさん。」
 呼んでから、ティーエは苦笑する。
「とんだ迷惑な勘違いでごめんなさいね。」
「もう一人の弟、なんだろ?じゃあ、気にしなくていいよ。」
 ファウストの言葉に、こらえていたティーエの涙が頬を伝った。


 国士無荘の一室に、ファウストと環がぐったりとした様子で、互いにもたれかかるように座っていた。
 環の手には携帯電話が握られている。その液晶画面に文字が映し出される。
『軍のシステムに入れって命令、もう少し後でいいんだってさ。ゲームのルールが公表されてからじゃないと意味がないってさ。』
 勝手なことを言って煽って働かせて、結局、最後はそれかと疲労感を覚える環。
「ファウスト、お前、俺がいない間、何してたんだ?」
「なんか、壮絶な人違いされてた。」
 こちらも疲労感たっぷりのファウスト。
 二人は「一体、なんだったんだ。」と互いにため息をついてから、顔を見合わせる。
「浮気じゃないだろうな?」
「まさか。」
「証明してもらおうかな、体で。」
 ぐいっと布団の上に倒されて、ファウストは環にぎゅっと抱き付いた。
 ティーエとは違うしっかりとした硬い体。

 でも、あの柔らかい抱擁も悪くなかったと思うのは、浮気なのだろうか。

 そんなことを考えながら、ファウストは環にキスをした。

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 雨の日は、嫌いじゃない。

「ねぇ、サイガー出かけませんかぁ?」
 モルヒネにねだられて、サイガはコーヒーのマグカップをテーブルに置いた。昼食を終えたモルヒネは、どこかそわそわしていた。
「行きたいところでもあるの?」
「せっかくのいい天気じゃないですかぁ。サイガと歩きたかったんですけど。」
 その返事にサイガは苦笑した。
「雨の日のデートね。悪くないけど、どこに行こうか?」
「サイガーにはぁ、傘を貸してあげますよ?」
 ふふふっと笑んでモルヒネはいそいそと支度をしだす。レインコートに長靴。どこか子どものようなモルヒネの姿に、サイガは笑ってしまう。
「なんですか?」
 きょとんとした顔で聞かれて、サイガは首を振った。
「なんでもないよ、行こう。」
 笑いを止めよとするのに、止まらない。
 でも、決して嫌な笑いではなかった。体の奥底から、暖まるような笑い。
「レインコートが地味じゃない?」
 薄紫に星柄のレインコートが虹色に変わる。
「虹ですねぇ。」
「これなら、モルヒネがどこにいても見つけられる。」
「僕はサイガから離れませんから、見つける必要ないですよぉ。」
 そんなことを言いながら通りに出た。
 あてもなく歩いて行くと、見えてきたのは寂れた町外れの遊園地。
 こういうのはモルヒネが好きかもしれないと思い、サイガが声をかける。
「入ってみる?」
 モルヒネの目はもう輝いていた。
「いいんですかぁ?」
 そこまで言われると入らないわけにはいかない。
 霧のように細かい雨が傘を伝って雫となり落ちる。
 スキップして入っていったモルヒネは、ペンキの剥げかけた回転木馬や、きしみそうな観覧車、ちゃちな作りのゴーカートなどに声を上げる。
「サイガーあれも乗ってみましょうよぉ!」
 ぐいぐいと引っ張られてサイガはめいいっぱい引きずりまわされた。
 雨の寂れた遊園地は二人きり。
 狭い敷地にあるアトラクションを全て制覇して、それでもまだ足りないと動き出しそうなモルヒネの手を引っ張って、サイガは売店に入っていった。売店の従業員も奥のほうに引っ込んでいて、買ったものを食べるスペースはがらんとしている。壊れそうな椅子にモルヒネを座らせて、何か暖かいものを注文しに行こうと立ち上がるサイガに、モルヒネが手を握った。
 行かないでと無言で目が語る。
 冷たい手だった。何時間も雨にさらされたモルヒネの手。
 その指先に、サイガは音を立てて口づけた。
「すぐ戻ってくるから。こんなに冷えて。暖かいものでも、飲もう?」
「サイガー僕も行きます。」
 先程までの笑顔はどこに行ったのか、不安そうなモルヒネと手をつないだ。片手で水の垂れるレインコートのフードを外してやり、濡れた前髪をかき分けてキスを落とす。
「一緒に、行こうか。」
 曇ったモルヒネの表情が、ぱっと明るくなった。
「サイガの奢りですよぉ?」
「はいはい。奢るよ、可愛いモルヒネ。」
 つないだ手は、帰り道も離れなかった。

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青空はいつも僕を責める

時間になっても来ない君にカーテンを開けた
逆さに吊るしたてるてる坊主
今日はちゃんと仕事してくれた
なんていい天気
窓の外は雨
分厚い雲が青空を隠す

いつまでたっても来ない君を迎えに行こう
久しぶりの長靴にレインコートに傘
雨音だけが聞こえてくる

君はきっとずぶ濡れで
ついてないなんて思いながら
遅れたお詫びにお菓子でも買ってくるんだろう

許さないからね
そう言いながらもきっと笑って飛び込んでしまう
大好きなあの腕に

君がいると世界は静寂を取り戻し
君がいると世界は色彩を帯びる

ケーキなんかじゃごまかされない
そう言いたいけどもう頬が緩んでいる
君の姿が見えて来た
傘を捨てて駆け寄る

もうすぐ君にたどり着く

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 フェンリルの病室に花束を持った女性が現れたのは、フェンリルが入院して2日目のことだった。ようやく点滴が外れて動きやすくなったものの、肋骨が折れているので、脇腹は常に痛むし、額の傷も激しく動けば開くので安静にと言われていた。
 それでも、今日退院していいと言われたので、帰り支度をしていたところに赤い髪の軍人、アシュレイが現れたのだ。思わず身構えるフェンリル。緩衝地帯の病院なので手荒なことはされないはずだが、連れていかれればどうなるか分からない。
「あー、いたいた。この前の子だ。あの時骨折っちゃったけど、大丈夫?ごめんねぇ、痛かったでしょ?」
 髪を撫でられそうになって、フェンリルは身を引いた。
 なんなのだろう。夜に出会った時とは違い、気の抜けたような明るい笑みにフェンリルは戸惑う。
「げ、ババァ!?」
 さらわれて利用されるのか、拷問されるのか、残りの星を奪いに来たのか、それとも花束に何か仕込んであるのか。
 警戒心いっぱいのフェンリルに、アシュレイは無邪気とも言える表情で目を輝かす。
「あのさぁ、ちょぉっと聞きたいことがあったんだよね……。」
 ジリジリと距離を詰められて、壁際に追い詰められるフェンリル。相手は頭半分以上背が高い。
「な、なんだよ?」
 コルセットで固定しただけの肋骨がぎしぎしと痛む。どうすればこの場から逃げられるのか、フェンリルは必死に計算した。
 しかし、アシュレイの口から出たのは、意外な一言だった。

「小動物って、今、集めること、できる?」

 わくわくと胸踊らせるアシュレイは子どものようで、フェンリルは拍子抜けしてしまう。
「できるけど、病室じゃ駄目だろ。中庭とかなら……うわぁ!?」
 言った瞬間、すくい上げるようにフェンリルをお姫様抱っこして、病室から駆け出すアシュレイ。その足取りの軽さに、フェンリルは内心で恐れおののいた。
 中庭に出たフェンリルは、仕方なく動物を呼ぶ。
「鳥に、猫に、犬に……周囲にいそうなのなら呼べるけど。」
 すでにフェンリルの気配に気付いた鳥がフェンリルの肩や腕に止まり始め、猫や犬たちがぞろぞろと集まり始めていた。
「きゃあああああ!!!!!動物いっぱぁあい!え、これ、すごい!フェンリル君さすが!さっすがぁ!」
 飛び跳ねて笑顔満面で走り寄るアシュレイに、動物たちが怯えて逃げていく。満面の笑顔が徐々にしょんぼりとなって落ち込んでいくのに、フェンリルはため息をついた。
「ほら、来い。いい子だ。」
 逃げずにフェンリルの足元にいたくろぶちの猫を抱き上げ、フェンリルはアシュレイの腕に渡してやる。
「だっこ、していいの?大丈夫なの、この子?」
 ものすごく驚いて恐る恐る手を伸ばすアシュレイの腕に、フェンリルは手を添えた。
「猫は抱き方があるから……ほら、そこに手を入れても逃げられるぞ。」
「え?でも、どこを支えたらいいの?」
「だから、そっちの手を……って、もうちょっと力抜けよ。緊張は伝わるんだからな。」
「だって、こんなに小さくて柔らかい子、力込めたら、死んじゃいそうで……。」
 戦いの時とは全く違うアシュレイの表情に、フェンリルは苦笑する。
 その時。
「フェンに何をしてるの!離れて!」
 退院の手伝いに来てくれるはずだった空音が、病室にいなかったので中庭を覗きに来たのであろう。一昨日フェンリルを痛めつけた軍人の姿に、異能を発動させようと神経を集中させる。
「くぅ!これは違うんだ!」
「フェンを苛めた奴は、許さないんだから!」
 剣呑な空気に、猫がアシュレイの腕から逃げ出す。
「あぁ!猫が逃げる!」
「猫が!猫が!」
 フェンリルとアシュレイの声が重なった。
「抱っこ、したかったのにぃ!」
 ぼろりとアシュレイの目から涙が零れる。その場に座り込んで膝を抱えて声もなく涙を流すアシュレイに、空音も戦意をそがれたようだった。
「猫、好きなの?」
 空音の問いかけに、アシュレイは泣いたまま、こくりと頷く。
「ボク、うさぎが好きなんだ。」
「うさ、ぎも、すき。」
 しゃくりあげながら答えるアシュレイ。
「怖くないから、おいで。」
 手招きするフェンリルに、くろぶちの猫がおずおずと戻ってくる。フェンリルはそれを軽く抱き上げ、アシュレイの膝の上に置いてやった。
 ふわふわの毛の猫は、アシュレイの長い髪にじゃれて、にゃあんと甘えた声を出す。
「だっこ……できた。」
 笑ったアシュレイの目から、最後の大粒の涙が零れた。
「俺、あんた好きじゃないけど、あんたが動物好きなら、また、会ってやってもいいよ?」
 戦闘で殺されかけたのは確かに嫌な思い出だが、あれはゲームのせいであり、ゲームが終わった後、結局は人は人として生きていかなければならない。どの組織が勝ったとしても。
 それならば、いがみ合うのは馬鹿らしいことだ。
 あっさりと言ったフェンリルに、アシュレイはこっくりと頷いた。
「ゲームでは手加減しないよ。」
「望むところだ。」
 言い合う二人に、空音が顔を顰める。
「でも、フェン、負けちゃうよ。この人、強いもん。」
「ここは、嘘でも頑張れとかいうところだろ!」
「だって。」
 アシュレイとフェンリルが二人でいる姿が、なぜか胸に刺さって素直に慣れない空音。
 不穏な空気が去って、またフェンリルの周囲に動物が集まってきていた。

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 静かな昼下がりだった。
 午前中、弟を探し歩き疲れたティーエが診療所に戻ると、ふわふわの銀髪の少年、セレーレが診療所のそばのベンチに座って、帰りを待っていた。
「お帰り、ティーエせんせー。」
 ふにゃりと笑う少年に、ティーエも力なく微笑む。
「ただいま。」

ーーお帰り、ティーエ。

 ふと、弟の声が頭をよぎった。
 15歳までしか知らない、無邪気な少年のフェンリル。
「待っていてくれたんですか?」
「うん、今日はサーカスも休みで。」
 診療所は不衛生なのでと飼っている孔雀を置いてまで来てくれる少年に、ティーエは戸惑いを覚えなくもなかった。無邪気に慕ってくる彼は、弟を思い出させる。13歳まで片時も離れず、ベッドまで一緒だった弟。
「ココア、飲みたいなー。」
 おねだり上手なセレーレに、ティーエは診療所の鍵を開けた。

 暖かいココアで空腹が紛れ、ティーエはようやく気付く。
「セレーレさん、お昼ごはん、食べましたか?」
「んーん。ティーエせんせーと食べようと思って。」
 にっこり笑った姿に、涙が零れそうになった。
「ありがとうございます。」
 一人でいたら食べることも忘れてしまう小さなティーエを気遣ってくれるセレーレ。その柔らかな髪をティーエは優しく撫でた。ふわふわとした感触に、手が震える。

ーーあの子はどこへ行ってしまったの?

 すぅっと頬を伝った透明な雫に、セレーレは瞬きをする。それから、ゆっくりと、ティーエの頬の涙を唇で吸い取った。
「セレーレさん?」
 続いて、瞼にキスが落ちてくる。
 13歳のセレーレはすでにティーエよりも背が高い。
 軽く唇にもキスされて、ティーエは真っ赤になった。
「な、何を。」
「泣いてたら、ママがこうしてくれたんだ。」
 そっと最後に落ちたのは、額へのキス。
 子どものふりをして笑顔をくれる彼は、もしかすると、自分よりも大人なのかもしれないと、ティーエは赤らんだ頬を隠した。



Auf die Hande kust die Achtung,
“手の甲なら、尊敬のキス
Freundschaft auf die offne Stirn,
額の上なら、友情のキス
Auf die Wange Wohlgefallen,
頬の上なら、厚情のキス
Sel'ge Liebe auf den Mund,
唇の上なら、愛情のキス
Aufs geschlosne Aug' die Sehnsucht,
閉じた瞼の上なら、憧憬のキス
In die hohle Hand Verlangen,
掌の上なら、懇願のキス
Arm und Nacken die Begierde,
首と腕なら、欲望のキス
Ubrall sonst die Raserei.
さてそのほかはみな、狂気の沙汰”

Franz Grillparzer,”Kuß” (1819)
フランツ・グリルパルツァー 「接吻」(1819)

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