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エデンの鍵に関する情報を置いていくブログ。 時に短編小説もあるかも?
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 その客は一目で初めてと分かった。
 番台の前をびくびくしながら通りすぎようとする黒髪に黒い目の青年を、ユンファはぎろりと睨みつけた。
「先払いだよ!」
 料金を告げると、彼はもたもたと財布を開く。
「こ、これ。」
「なんで札で出すかねぇ。お釣りが面倒じゃないか。しかも、こんな大札。」
 文句を言うと、明らかに狼狽した風情の青年。年齢の割に、動作が幼い。だからといって金の亡者、ユンファが許すはずもなかった。
「ほら、お釣りだよ。さっさと入りな。」
 素っ気なく言うと、そそくさと脱衣所に入っていく青年。しかし、番台から脱衣所が丸見えなのに気づいて、唖然としている。
 恐らく、マフィアの一員で上司から硝煙の臭いを消してこいとここに押しやられたのだろう。あまりの慣れていない素振りに、周囲の常連客の老人が脱衣所の使い方を教えている。
「貴重品はあのロッカーに入れてな、脱いだ服はこの棚のカゴに入れるんだよ。」
「き、き、貴重品って、銃も、ですか?」

 脱衣所の空気が凍りついた。

「あんた、ちょっと来な!」
 番台から飛び降りてずかずかと歩み寄ってきたユンファに、青年は目を丸くしていた。長身大柄骨太なユンファはむんずと青年の襟首を掴んで、耳元で低く囁く。
「マフィアだろ、あんた。私もだ。だけど、ここで銃のこととか話しちゃいけない。銃はさっさと私に預けな。で、ちゃっちゃか脱いで、さっさと出る!営業妨害は許さないよ!」
「は、はは、はい。」
 完全に気圧された風情の青年は、躊躇いながらも銃を渡してくる。それを懐に仕舞って、ユンファは硬直する全裸の男性陣に向けて極上のスマイルを見せた。
「我が銭湯ではマフィアも民間人も、誰でも平等に扱います。ただし、武器はきちんとこちらで管理いたしますので、ご安心下さい。ほら、もう何も持ってないね?」
 言いながら、さくさくと服を脱がせていくユンファに、「や、やめて。僕、自分で、自分で、脱げます。」と抵抗するが、虚しく剥かれる青年。
 浴室に放り込まれた青年がほかほかになって上がってくる頃、ユンファは番頭台でコーヒー牛乳を用意していた。
「銃を、か、返して下さい。」
 服を纏った青年が言うのに、ユンファは手を差し出す。
「あんた、名前は?銭湯では、上がったらコーヒー牛乳を一気飲みするのが礼儀なんだよ。それが終わったら返そう。」
「そう、なんですか?僕はレヴィです。」
 疑いもせずコーヒー牛乳代を払うレヴィに、ユンファはこいつはいい客になりそうだと笑顔を作った。
「私はユンファ。またいつでもおいで。」
 もちろん、コーヒー牛乳代をごまかして割増することを忘れるユンファではなかった。

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 ぴょこんと公園の茂みから飛び出してきたウサギに、フェンリルは多少戸惑った。この公園に野生のウサギはいなかったはずだし、このウサギは明らかにリードをつけている。
「お前、逃げてきたのか?」
 呼ぶと寄ってきたそのウサギを抱き上げた瞬間、見つめてきた双眸にフェンリルは手を止めた。
「それって、ウサギさんだよねっ?」
 快活に問われて、勢いに負けてフェンリルは頷いてしまう。
「あ、あぁ。ウサギだな。どこからどう見ても。」
「君が飼ってるの?ボクも抱っこしていい?」
 言い終わるより前に手を差し出してきたのは、小柄なフェンリルよりも更に小柄な少女。
「俺のじゃないよ。迷子みたいだ。そっと抱けよ。」
 自分よりも年下で小さな子はどことなく姉を思わせて、無下に出来ず、フェンリルがそっとウサギを渡してやると、耳の垂れた白いウサギは縫いぐるみのようにおとなしく少女の腕に収まった。
「じゃあ、誰のかな?っていうか、君は誰だったっけ?」
 くるくると変わる表情。言葉。ついていけずに、いつものお得意の皮肉も出ずに、フェンリルは素直に答えてしまう。
「俺は天狼(ティエンラン)。フェンリルって呼ばれる方が嬉しいけど。」
「フェンリルだね。フェンリル。うん、覚えた。飴、食べる?」
 ウサギの礼なのか差し出された透明な袋に入った薄桃色の飴を、フェンリルは受け取ってしまった。受け取らなかったら彼女が泣くような気がしたのだ。
「あんたは?」
「ボクは空音。くぅって呼ばれる。」
 名乗った彼女に、フェンリルは僅かに笑ってしまった。
「くぅ、か。可愛いんじゃないか。」
「そう?」
 いかにも姉が好みそうだと思って、笑ってしまったのに、空音は嬉しそうに顔を輝かせる。
「さて、ウサギの飼い主を探さないと。きっと、こいつ、探されてる。」
 言いながら、フェンリルが両手を広げると、公園の木々に止まっていた野鳥たちが集まって腕に止まってきた。
「うわっ!?なにこれ?大丈夫!?」
「大丈夫。ほら、教えろよ、こいつの飼い主はどこにいるんだ?」
 野鳥たちに囁きかけると、情報を求めて野鳥たちは散り散りに飛んでいく。気がつけば、足元には野良猫が数匹まとわりついて来ていた。
「それが君の能力?」
「そうだよ。別に隠しちゃいないし、ここで隠す必要もないし。」
 ギルドの支配するこの地区でなら、確かにギルド所属のフェンリルが能力を隠す必要もなかった。
「それに、くぅもギルドだろ?」
 特に、ギルド所属らしき空音の前では。
「うん。ボクの能力は……。」
「言わなくていいよ。分かる時に分かる。ほら、いい子が飼い主を見つけたみたいだ。」
 真っ直ぐにフェンリルを目指して飛んできたメジロが、フェンリルの耳に何か囁く。フェンリルは名残惜しそうな空音から、ウサギを受け取った。
「俺はこいつを返してから帰るよ。あんたも、遅くならないうちに帰りなよ。」
 自然と優しい言葉が出てきたのは、相手が自分よりも幼く小さかったからかもしれない。歩き出したフェンリルは、空音を振り返らなかった。

 帰り道、空音は上空を中型の鳥の影が通りすぎるのを感じて空を見上げた。その時、こつんこつんと、透明な袋に包まれた空色の飴が5,6個落ちてきた。
 その飴は、しゅわしゅわと弾けるソーダの味がした。

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 麻婆豆腐と炒飯と唐揚げと皿うどん。並んだ料理に満足して箸を持ち上げた瞬間、正面のテーブルのスーツの女性と目が合って、ユンファはぎろりと彼女を睨んだ。
 今日は研究のために金属を溶かして力を使ったので、ものすごくお腹が空いているのだ。誰であろうと、食事の邪魔をするものは許さない。
 しかし、男物のスーツを纏っている彼女は、ユンファの威嚇に対してにこりと微笑んできた。年の頃は20歳前後だろうか。黒髪の若い女性。
 近寄ってきた彼女はためらいなくユンファの前の椅子に腰掛け、こう切り出した。
「昨日、オタクの銭湯に、金の指輪を三つつけた年かさの太った男と、若い赤毛の女が連れ立って来なかった?」
 男の顔は覚えていなかったが、金の指輪と言われてユンファはそれを思い出す。どうかそれを外して風呂に入って、忘れて行ってくれないかと、じっと男湯の方ばかり見て、若い慣れていない客をもじもじさせていたユンファ。先頭に来たのだから、番頭に裸を見られるくらいなんだ、と10歳になる前から番頭台に座っているユンファは思う。そんなに恥ずかしい物をつけているのかと。どれもこれも同じようなものではないか。
「掃除機みたいにうどんを吸い込んでないで、私の話も聞いてくれないかしら?」
 彼女に言われて、ユンファは吸い込んでいたうどんを飲み込んだ。
「あんた、誰さ?」
「キサ。探偵よ。」
「それで?」
「あの男の浮気現場を押さえないといけないのよ、分かるでしょ?」
 いきなり分かるでしょと言われても、分かるはずもなく、ユンファは拳大の唐揚げを一口で頬張る。
「ふぉれれ?」
「汚いわね。飲み込んでから喋りなさいよ。あの男が来る時間を教えて欲しいだけよ。」
「ああいう金持ちは二度と来ないよ。一度、見物気分で来て、うちの銭湯のボロさに辟易して二度と来ないのがパターン。」
 あっさりと言うと、「そうよねぇ。」とキサも同意した。
「でも、もしも、もう一度来るとしたら?」
「例えば、女の方が化粧ポーチを忘れたりして?」
 あまり金目の物が入っていなかったので、普通に忘れ物として保管してあるポーチを思い出して口にしたユンファに、キサがにっこりと微笑んだ。
 勝利を確信した、美しい唇の形。
「来るなら、人が少ない夕方の5時。忘れ物を取りに来るだけならね。」
 言いながら、ユンファはオーダーシートをキサの手に乗せる。
「高いわね。」
「情報はいつだって、安くないんだよ。」
 もう話は終わったとばかりに、料理を再び吸い込み始めるユンファを置いて、キサは席を立った。料金を払うのを見届けるために振り返ったユンファは、キサの凛とした立ち姿に、一瞬だけ目を奪われる。
 しかし、すぐに彼女の興味は料理へと戻っていった。
 残りの料理が完食されるまで5分とかからなかった。

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「いてぇ!いてぇっつってんだろ!早く何とかしろよ!」
 がんがんと平気な方の足で診察用のベッドの足を蹴りながら、脛をかすった傷を見せて暴れまわる赤い髪に赤い目のスーツの青年に、ティーエは完全に怯えきっていた。かすっただけだという銃創は、斜めに長く伸び、浅く広く皮膚を削っている。
 止血をしなければいけない。そして、縫わなければいけない。
 医学生のティーエには分かりきっていることだった。けれど、141センチしかない小さな彼女では、年下とはいえ自分よりも大きな青年を押さえつけることができないのだ。
「し、静かにして下さい。安静にしないと、血がもっと出ますよ?」
 震えながら言うセリフに、青年、ニカは顔を歪めた。
「さっさとてめぇが処置すればすむ話しだろうが!」
「そんなに動いたら、処置できません!」
 半泣きになりながらティーエが叫んだ瞬間、開いていた窓からすぅっと導かれるようにコウモリが入ってきて、ニカの顔面に貼り付いた。
「うおっ!?なんだ!?」
 その隙を逃さず、ティーエはしっかりとニカの足を掴んで、ズボンを切り裂く。傷口を露わにして、蒸留水で洗い流し、麻酔を施すと、ニカは顔に貼り付いたコウモリをひっぺがして地面に投げ捨てていた。コウモリは「きぃ!」と抗議するように鳴いて、窓の外へ飛んでいく。
「縫いますからね。動いたら、変なところに針、刺さりますよ?」
「そうしないのが、てめぇの仕事じゃねぇのかよ?」
 そう言いながらも、麻酔が効いてきたのか幾分大人しくなったニカにほっとしながら、ティーエはニカの傷口を縫い合わせていく。浅い傷口はすぐに塞がりそうだった。
「ニ三日は水につけないようにして下さいね。」
 治療を終えて笑顔になったティーエに、ニカが無言で数枚の紙幣を差し出す。
「はい?」
「黙って受け取れ、このチビ!」
「は、はい!」
 それが治療費だとティーエが気付いたのは、ニカが診療所を出た後だった。
 束の間の休息の後、すぐに連絡が入る。
「2ブロック先で小競り合いだってよ、先生。」
 走り込んできたのは、よく昼食を分けてあげているストリートチルドレンの一人。弟を探す情報源としても彼は役に立っていた。
「治療の準備、ですね。」
 もらった紙幣の一枚を少年に渡し、残りをポケットに突っ込んで、ティーエは手を洗う。

 足を引きずりながら診療所から出たニカが、なぜ、野良猫に引っかかれ、野良犬に吠え立てられたかは、双子の弟しか知らない。

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 遠花(ユンファ)は異邦人街の銭湯の娘である。
 ユンファにとってマフィアとは、守ってくれるものであって決して敵ではなかった。
 規律あるマフィアこそが、異邦人街の法だとユンファは思っていた。

 だから、あの告知がなされた時、ユンファは迷いなくマフィアの一員となった。

 銭湯の番台に座ってユンファは考える。
 どこかに、明日にでも死にそうな、巨万の富を遺してくれる素敵なおじいさまがいないか。
 そんなおじいさまなら結婚してもいいのにと。
 そんな彼女も34歳。大柄で骨太で長身の彼女も、こういう時だけ夢見る乙女になる。

「あ、ヘイリー、ちゃんと払ってから入りなさいよね。先払いなの!」

 夢見ている時でも、彼女は番頭の仕事を怠ったりはしないのだが。
「ユンファちゃん、まけてよ。」
「茹で殺すよ?」
「払います。」
 本気のユンファに、ヘイリーと呼ばれた優男は小銭を手渡した。
 もしも、マフィアがこの街の主となれば、この古びた銭湯も大改築して、サウナ付きのスーパー銭湯にできるだろう。その暁には、きっともっとお金が入るはず。
 男湯も女湯も目を光らせるユンファの心を占めるのは、色気ではなく、金勘定でしかない。

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